人気ブログランキング | 話題のタグを見る

母の死

私が手術を終え、退院して直ぐに待っていたのは、
重度の認知症を患って施設にいる母が、殆ど食事(ゼリー状の物)を食べ無くなった為、
胃ろうにするか、それとも自宅に引き取って看取り介護にするかの選択だった。

せめて1週間待ってとお願いして、
食べないなんて事は無いのではと毎日食事の為に通い、実際母は何とか嬉しそうに食べてくれたのだが、
施設からは、私が完食させると翌日の朝から何も食べない、
もしくは、完食しても本来の食事の半分の量なので、更にプラスアルファ食べさせることが出来ますかと言うものだった。
そして、施設では母にそんなに手を掛ける時間も無いし、何より肺炎を起す誤飲が怖い。
また、食べるのを嫌がるのに無理やり食べさせるのが職員も苦痛と言うことであった。

最初から本当は分っていた。もう選択の余地は無いのだと言うことが。
それでも心が納得出来なかった。まだ何とかならないのかと足掻いてしまった。

食べれるのに、という思いと、これ以上は施設に負担を掛けられないという思いがせめぎ合い、
それでも自宅に引き取れば数日から数週間の命と聞けば、
延命なんてと思っていた筈なのに、胃ロウの手術をお願いせざるを得なくなった。

震災で苦しむ人々を思えば、これはとても贅沢な悩みだとも思った。
それでも胃ろうにすれば長生き出来る。
実際主人の母は良いか悪いかは別として、全身不随の体でも兄弟の意思で胃ロウで今も生きながらえている。
そう思ったが手術直前の検査結果で肺炎の疑いが出て、
更に肺炎では無く結核かも言われ、もしそうならここでは治療できないので転院してもらいますと言われ、
更に数日検査があり、うつりはしないが非定型抗酸菌症という治りにくい病に冒されている事が分った。

その時点では、微熱が続く程度で、
医師からももう少し元気になったら胃ろうを作って長期療養型病院へ転院しましょうという話だった。
完治には半年は掛かると言われ、長丁場を覚悟したのだった。

母の様態はまた暫くして急変した。前回は大丈夫だったのに肺の半分が急に真っ白になったと言う事だった。
それから二三日、母は呼吸困難に陥った。連絡があった時、今すぐどうという訳ではないですがと言われた。

その数日後、どうしても一日行けず、翌日夕方6時過ぎまで母の元にいた。
もう意識は無いようだったが、何時ものように音楽をイヤホンで聞かせてあげていた。
以前は行くと、何も話せ無くても、誰か分らなくても、本当に一瞬にっこりしたものだ。
「00さんはここではちょとアイドルなんですよ」と看護婦さんの言ってくれたのが嬉しかった。

バスで家に戻って夕食の準備をと思った時に電話があった。母の様子が危ないとの事だった。
今まで、一緒にいたのにどうして、と本当に信じられない思いが一瞬身を貫いたが、
実際は少しずつ弱っていて、直ぐ後で更に急変したとの事だった。

7時前だった。何分で来られますかと聞かれ、主人が20分と答えた後、直ぐにまた電話が鳴り、
直ぐに来てください、との事だった。

幸い娘もおり、家族全員で向かうことが出来たが、病院に着いた時、母はまだ生きているように温かかったが心停止だった。
不思議と悲しみは無かった。父の時もそうだったが、長いこと辛い思いをして、やっと楽になれて良かったね、という思いだった。

看護士さんは男の方で、この方は何時もとても良くして下さって特に感謝している。
最後にその方と一緒に母のお清めをして、後から白粉と口紅を持って来てくれたので、私が白粉を、その方が仕上げに口紅をつけてくれた。
医師はとても忙しそうだったが、母の処置はとても適切だったと思っている。
もし胃ろうを作れていたら、栄養も取れたから病気に対する薬も投与出来ただろう。
でも、寧ろ胃ろうを作って痛い思いをして死なずに済んで良かったと思う事にしている。

母は5月23日に亡くなった。奇しくも娘の誕生日である。
葬儀の手続きの後、家に帰ってケーキを前に、忘れられない誕生日となったねと家族で話した。

父の亡くなった時の地獄の苦しみを思えば、今の私の心はとても安らかだ。
無論、母への仕打ちを悔やむことが無い訳ではない。寧ろ後悔は父のときよりずっと多い。
しかし、悔やんでも事態は何も変わらないのだ。
私はまだ生きている。振り返る時間はまだずっと後で良い。

PS,最後に:

介護施設で働く全ての人に、有難うの言葉を届けたい。
汚いこと、辛いこと、嫌な事、本当にいっぱいあるのに、
全部ひっくるめて、手取り足取り面倒を見て下さって、本当に有難う御座います。
自分の体を大切に、出来れば無理の無い程度に、これからも頑張って行ってください。

そして看護士の方達、
同じように嫌な事、辛い事、汚いこともいっぱいあるのに、
いつも笑顔で接して下さって本当に励まされます。
笑顔一つで患者も家族も救われるんです。
ありがとう、感謝しています。

そして医師のみなさん、今回お世話になったドクターは勿論、
厳しい現実の中で、常に死と隣り合わせの様な現場で、
真剣に取り組んで下さるその姿には頭が下がります。
本当に有難う御座います。

今回は家族葬で行ったので、親切にして下さった担当の方にも感謝です。
こじんまりとした、けれど母らしい、花いっぱいの良いお葬式となりました。

まだまだお世話になった方は果てしないくらいいっぱいで、
そして感謝したい人もいっぱいです。
全部の人にこの思いが伝わると良いな。
みんなが幸せでありますように。
そして、みんなが辛い日々を過ごしませんように。
by _kyo_kyo | 2011-06-12 05:23 | 感謝 | Trackback
<< 夢見るダイアモンド 13-3 夢見るダイアモンド 13-2 >>