クーラーの気持良い風に吹かれながら、一時夏の暑さを逃れる。
火照った体が少しずつひんやりとしてくると、
暑い夏の夕暮れに、顔も知らないみんなのことを考えたりなどする。
そうして小学1年生の頃に文通していた、
血の繋がらない山形の従姉妹のことがだぶって思い出される。
手紙ではとっても仲が良かったのに、
早く会いたいねって話していたのに、
実際に会ったらお互い何も話せなかった。
その子の妹や弟の方が懐いて来て一緒にいっぱい遊んだっけ。
私達お互いあまりにも子供だったもんね。
そうして、私は配慮とか気配りとか全然出来なかったんだよね。
もう二度と会うことはないだろうその子に、
また会っても、やっぱりなんて言葉を掛けて良いのかきっと分からないと思うのだけれど、
そんな自分を情けないと思いながらも、
そんな風にしか出来ない自分の限界を感じている。
きっと私はそんな風にしか生きられない。
それは子供時代を経て今もきっと変わらないよね。
家に戻ってから、母にその子が方言を気にしていたようだと聞いたっけ。
酷い寄り目なのも、私と打ち解けられなかった原因だとも聞いたっけ。
妹も弟も同じように寄り目で、でもその子が一番目立っていた。
翌年手術をしたと聞いて、大変だけれど良かったなあと思ったりもしたなあ・・・
ひんやりした風が気持良い。
火照った頬を冷やしながら、ぼんやりした頭で考える。
そんな風にしか生きられないかも知れないけれど、
それでも昔よりはもうちょっと口下手でなくなったし、
他人に気を遣うこともできる様になったと思うんだ。
それは、他の人から見たら全然なってないかもしれない。
それでも私の中ではやっぱり大きな変化なんだよね。
少しだけ自分を薄めることで、
もう少し他の人のことを思いやれるようになっていく気がするんだ。
だから・・・
もしも顔も知らない人達に出会ったとしても、
今のこの気持ちが変わることはきっと無いと思うな。
自分が心を開けばきっと通じるものはあると思うんだ。
絶対とは言えないかも知れないけど、
それでもどんな諍いしてる人とだって個人的に話をすれば優しくなれる、
それって普通のことだよね。
何だか言葉にするとおかしいかもしれないけど、
私にとってはその気持ちが一番大切なんだよね。