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夢見るダイアモンド  5

              5

美沙は帰宅するやいなやジーンズとトレーナに着替え、休む間もそこそこに急いで台所に立ち晩御飯のハンバーグの下ごしらえに取り掛かった。
帰りにもう一度寄ろうと思っていた『ふくふく亭』や、お気に入りのブテックのことなどすっかり忘れ柳瀬と話し込んでしまったのだ。
ふと冷蔵庫に留めた行きつけの美容院の名刺が目に留まり、柳瀬の叔父の名刺をバックにしまい込んだままなのが思い出された。

美沙が小学生の時、祖母が入院するので母が付き添ったことがあった。
美沙からみて父親の母に当たるその人は、和服の似合う優しいお祖母ちゃんだった。その祖母から母へ、入院中何かとお世話になったお礼も兼ねてと指輪が譲られた。
普段、祖母がいつも着けていた愛用の指輪だった。あの指輪には何の宝石が使ってあったのだろう。ハンバーグの種をこねる手を休めてしばし過去に記憶を遡るが、少しも思い出せない。
母はあの時「この指輪は随分古いし高価な物では無いとは思うけれど、大人になったらあなたに譲るわね」と言った。
そんな事今まですっかり忘れていたが、母はまだあの約束を覚えているだろうか。古い古い旧式の指輪、そんな指輪でもリホームを頼むとしたらきっと高くつくことだろう。

過去に思いを馳せて、あまりぼんやりしていてはいけない。急がないと隆史の帰ってくる時間までに晩御飯が間に合わない。隆史は、帰宅すると真っ先にご飯を食べたがるので、晩御飯は最優先事項だ。
共働きの時は大抵出来合いのお惣菜でごまかしたし、レトルトでも彼はそんなに文句は言わなかった。
しかし専業主婦となってからは、料理には手を抜かないよう心掛けている。それと言うのも、もともと料理好きという事もあったが、何より隆史の野菜嫌いが大きな原因だ。
細かく刻んで挽肉に混ぜれば人参も玉葱も食べるが、そのままゴロンとしていたら絶対に残してしまう。肉じゃがでも、人参と玉葱には手付かずなままだ。
「お子様ですか」と思わず突っ込みを入れたくなる。
それでも「まだ魚が好きなだけマシよ」と同じ偏食な旦那様を持つ友人は言う。
「折角お寿司買って来ても、食べれるの玉子位しかないのよ」美沙が驚くと、「お肉大好き、野菜と魚が大嫌いだから、外食でも行ける所が偏ってしまってあんまり楽しくないわ」と彼女は嘆く。
隆史がそこまで偏食じゃなくて良かったと思う。そんなに好き嫌いが多かったら、夕食の度に頭が痛いこと間違いない。

下ごしらえが一区切りつくとバックから名刺を取り出し、改めて眺めてみる。店舗の住所からすると結構郊外の様だが今ひとつはっきりしない。
「いつか行ってみようかな」それが単なる好奇心からなのか、久しぶりに再会した柳瀬への懐かしさからなのか自分でも良く分からない。
美沙は名刺をそのまま冷蔵庫の美容院の名刺の隣に留めたが、不確かな感情はいつまでも纏わりついて、隆史が帰宅するまで容易に離れようとはしなかった。
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by _kyo_kyo | 2011-02-27 07:32 | 小説 | Comments(4)

夢見るダイアモンド  4

              4

「佐伯さんが会社を辞めてもう三年位だっけ」柳瀬の言葉に頷く。
「すっかり奥様してるんだ。何だか意外だよなあ」
あはは、と笑いながら美沙が言う。「そう言う柳瀬さんは結婚はしたの」
「いやあ、まだあんまり結婚に興味ないしなあ」以前にもそんなことを聞いた様な気がする。
「そう言えば一時、ビジネスウーマンの間で『仕事と結婚してる』って台詞が流行ったっけね」

小さな本格カレー店の片隅で、忙しげにランチを食べるビジネスマン達を避けるように二人して、両手でナンを千切ってはマトンカレーに舌鼓を打ちながら話に興じる。
「最近はあまり聞かないな。仕事を持った女性が当たり前になったからかな。そういう意味じゃ佐伯さんは時代と逆行してるよね」
「うーん、それって皮肉なの」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」
謎掛けみたいな柳瀬の答えに美沙は思わず「何それ、変なの」と苦笑いしながら聞き返す。
「佐伯さん、自分じゃ全く気がついて無かったみたいだけど、結構社内で人気あったんだよ」
「あら、そんなの当たり前じゃない」内心焦りまくりなのに全く反対の言葉が思わず口をついて出る。
「なかなか言うね、それってやっぱり結婚した女性の余裕ってやつかね」目の前の柳瀬が笑っている。

柳瀬がお代わりのナンを頼んでいる間にマサラ・チャイを飲んでみる。
温かくてふんわりした感じのするお茶だ。
この味はなんだろう、ミルクティーの様でもっととても複雑な香り。何だか曖昧な、まるで心此処に在らずの恋人の様な味。
「美味しい」美沙が言うと「インドの紅茶って、カレーと一緒で香辛料いっぱいだよね」と柳瀬が言う。
「ルーに煮込んだマトンも香辛料がしっかり効いていてすごく美味しい」
「前から思ってたのだけど、佐伯さんって本当に美味しそうに食べるよね」
ティーカップを置きながら幸せそうに溜息をつく美沙に柳瀬が言う。
「誰かにご飯を作って貰うってだけで天国。こうして座ってると美味しい料理が出てくるのって感激だよ」
「その口ぶりじゃ料理の腕が怪しまれるなあ」笑いながら食べ続ける柳瀬を「ひどいなあ」と軽く睨みつける。

ただのランチなのに、好感の持てる異性と二人で食事をするというのは、それだけで何だか特別な感じがする。
『ずうずうしい勘違い女ってやつか』と心の中で己を諌める。
「柳瀬さん、良くこんなお店知ってたね」
ランチとは別に追加で頼んだタンドリーチキンが二人の前に運ばれてくる。
「商談はランチの合間にも進んでるからね、高くて旨い店は勿論、安くて旨い店まで色々調べておくのも仕事のうち」
柳瀬の言葉に成る程と頷く。
商談の内にはきっと取引先の事務の女の子達も含まれているのだろう。彼女達に気に入られると、いざという時何かと役に立つものだ。
バレンタインには取引先の女の子達から高そうなチョコレートがいくつも届いていた。そのお返しだって、他の営業マンの様に事務の子に頼んで買ってきてもらうなんてことは一度もなかった。
「今日は安くて悪いね」柳瀬の言葉に思わず笑いが出る。
「いやあ、こんなに美味しそうに食べてもらえるなら、今度は高くて旨い店も紹介しちゃおうかな」冗談とも本気ともつかない柳瀬の言葉に、その言葉忘れないでよね、と意味も無く念押しする。

「柳瀬さんの叔父さんって、とても紳士で素敵な方ね」
チキンを頬張る彼に、社交辞令だろうけどと言いながら、叔父さんの店に招待されたことを告げる。
「まあ、あの人は元々はジュエリーデザイナーだからね」
「えっ、そうなんだ」びっくりして思わずチキンと格闘していた手が止まる。
「若い頃は大手宝飾メーカーに勤めていたんだけど、随分前に独立して自分の店を持ったんだよ」
「自分だけのオリジナルなんて良いなあ、そいうのって素敵だね」
「へえ、そういうのにも興味あるんだ?良かったら今度連れてってあげようか」
「あ、それは是非行きたい」と言う美沙に
「叔父のデザインした作品はね、結構ひねくれてて面白いんだよ」とさも自慢気に言うのが可笑しい。
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by _kyo_kyo | 2011-02-23 18:16 | 小説 | Comments(4)

心のなか涙で埋め尽くして

溢れる涙と共に洗い流して

消えた命が戻るものなら

この腕を延ばして

蛍追うように掴みたいのに

逃げた命は 戻らない

消えた蛍は 何処へ行った

ふわふわと まだ何処かに漂っている気がするのに

どうやってもこの腕の届くことは無い

この指の覚えている感覚一つ

あなたの指は思い出すことも出来ず

明日にはやがて

白い霧となり

空へ漂う
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by _kyo_kyo | 2011-02-18 06:40 | | Comments(2)

夢見るダイアモンド  3-2

            ☆ ☆ ☆

「身内の癖に、全然商売っ気無いなあ」営業所時代の柳瀬を思い出し可笑しくなった。
普段はあまり真面目に仕事をしているように思えないのに、ここぞという時にはしっかり大口の契約を結び、成績は何時もトップだったので、何処をどうすればあんな風に成績を伸ばせるのだろうとその度に不思議に思ったものだ。
外回りで不在がちな柳瀬の代わりに、得意先からの苦情電話に頭を下げるのは営業事務の美沙の役目だった。その度に、先方は何時も口ではぼろくそに言いつつ、けれど実際には柳瀬のことをそう本気で怒っている訳でも無さそうだと感じていた。
「良くこんなに毎回怒られてて、契約打ち切られないよね」と一度皮肉交じりに言ってみたら「人徳、人徳」と済ました顔でさらりと言ってのけた。その度に、のほほんとして見える柳瀬が、実はとてもデリケートな人なのではないかしらと思ったりしたものだった。

「いらっしゃいませ」70歳位だろうか、初老の男性がショーケースを覗き込む美沙に話しかけて来た。
きっとこの人が彼の叔父さんなのだろう。そう言われてみると何となく雰囲気が似ている。
「これ素敵ですね」美沙が何気なく覗き込んだ大振りのルビーが三石並んだ指輪を
「ああ、それは」と言いながらショーケースから取り出して美沙の前に置くと言葉を続けた。
「この商品はデザインが少し古いんですよ。これだったら、寧ろこちらの方がデザインも新ししくてお買い得ですよ。」そう言いながら、今度は違う棚の商品を出して見比べるようにと美沙に言う。
「上から見たのでは分からないけれど、こうして横から眺めると古いデザインは少し高さのあるのが分かるでしょう。こういう指輪は趣味で集めているのなら良いけれど、今は流行らないし商品としての価値も低いんです。」
それに、と彼は後から出した指輪を指して言葉を続ける。
「実はこれなんか石はかなり小さいけれど、ずっと上等なルビーが使ってあるんですよ。こうして二つ並べて見ると色の違いが良く分かるでしょう」確かに二つを並べるとルビーの濃さが明らかに違う。新しい方は小さいながらもきらきらと強い輝きを放っている。
「台もプラチナなら高額だし、18金なら同じデザインでもずっと安価ですよね。でも本当は日本人の肌にはゴールドの方がしっくり馴染むと思うんです。特に若い方がすると素敵ですね。同じ金でもホワイトゴールドや18金14金10金と色合いが違い、それぞれに風情がある。だから単に値段や見栄えに捉われずに、本当に自分に似合った品をゆっくりと探すのも良いものですよ」
「気に入って購入した商品は、値段に係わらずいつまで経っても決して飽きませんからね。だから安いからと言って無理に焦って買う必要なんか無いんですよ」
成る程、柳瀬の言う通り叔父さんの店はとても良心的なようだ。良心的過ぎて、少し商売っ気の無いのが心配になるくらいだ。

違うブースでは派手に着飾った年配のご婦人方が、あれやこれやと高価な宝石をとっかえひっかえ選んでいるというのに、買うかどうかも分からぬこんな自分に一生懸命説明してくれるこの店主をとても好ましく感じた。
「今日は見るだけのつもりで来たので済みません」美沙は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえいえ」店主は真面目な顔で遮るように言うと「期間中はずっといますから、良かったらまた覗きに来て下さいね」と言いながら名刺を差し出す。
「焦らず色々な商品を見ながら、自分の好みに合った商品を探してみて下さい」
手渡された名刺には「柳瀬宝飾店 店主 柳瀬光太郎」と印刷されてあった。
「有難う御座います」美沙が言うと「指輪のサイズ直しからアクセサリーの修理、リフォームなどもやってますから、何かあったら何時でもお気軽にご相談下さい」
いかにも昔ながらの職人といった感じの彼が、日永一日机に向ってこつこつ作業する姿が容易に想像出来る。

「相談するだけならタダですから」朴訥と話す彼を見ている内に、言おうかどうしようか迷っていた言葉がぽろりと口をついて出た。
「やっぱり甥子さんと似ていますね」彼の怪訝そうな表情を見て慌てて後を続ける。
「実は私、以前同じ職場で甥子さんにお世話になっていたんです」
美沙の言葉を受けて、おやおやと言いながら彼が新ためて美沙の顔をまじまじと見つめる。
「今そこで偶然彼に再会して、こちらに叔父さんが出店なさってるってお聞きしたものですから」
「弘喜の昔の同僚の方だったんですか。それはわざわざ有難う御座います」
店主の顔に人懐っこそうな笑顔が現れる。
「弘喜さん、お店の手伝いもされているんですね」美沙の問いに「ええ、跡取りがいないもので弘喜も私が歳をとって大変だろうと気を使ってくれてましてね」
そうなんですか、と頷く美沙に「もし宜しかったら、一度弘喜と一緒に店の方にも遊びに来て下さい」
彼が更に何かを言おうとしたその時「ちょっと柳瀬さん、悪いけどこれ見せてくれるかな」顔馴染みらしい男性に呼ばれ「ちょっと行ってきますから、是非また来て下さい」と言い、一礼すると足早に去っていった。

手持ち無沙汰になった美沙は、柳瀬が戻るまであちこちのコーナーを覗いて時間を潰して回ることにした。
大抵の店は「いらっしゃいませ」と言う愛想笑いだけで終わってしまう。
美沙もこれと言って目的がある訳でもないので、ひやかしの雰囲気が敏感に店員にも伝わるのだろう。
きらびやかな宝石は分不相応な気もするし、高い金額を出してまでどうしても買いたいと思うような品もそうそう現れなかった。
それでもこうしたコーナーを覗いていると何となく気持ちが高揚してくるのを感じる。どうしてだろう、宝石には不思議な魔力が備わっている様にも思えてくるのだ。
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by _kyo_kyo | 2011-02-17 00:41 | 小説 | Comments(4)

夢見るダイアモンド  3

              3 

『ふくふく亭』でお抹茶を飲んで一息ついた後、女将の言葉に釣られる様に催事場のある8階へ上がって行った。催し物会場辺りは昼前だというのに、着飾った女達の白粉と香水の匂いでむせ返るようだ。
ここにいる女達を見ている限り、世間で騒いでいる不景気などまるで別世界の出来事の様に思えてくる。
一際込み合った通路で強引に後ろから来た中年女性の大ぶりなブランドのバックが、勢い良く左の肩に当たり、あまりの痛みに思わず肩を押さえ顔をしかめる。
済みません位言ったって罰は当たらないだろうにと睨んだら、逆に睨み返されてしまった。

やっぱり帰ろう、そう思って振り向いた時だ。
「あれ、もしや佐伯さんじゃない」目の前の男性にいきなり声を掛けられる。
「分からないかな、僕だよ柳瀬」
見覚えのある顔に「あれっ」と思いながら言葉を探す。
「勿論覚えてるわよ、いつも伝票が遅れて事務員泣かせだった柳瀬さん」
「ひどい覚えられ方だなあ」柳瀬が苦笑する。
思いがけない場所での久し振りの再会に、つい懐かしくてテンションも高くなる。
「わあ、久しぶり。今日はこんな所でどうしたの、仕事中じゃないの」
矢継ぎ早な美沙の問いに「今日は有休取って叔父の助っ人に来てるんだ」
へえ、といぶかしがる美沙に「実は叔父は売れない宝石屋なもんでね」
と言いながら彼が奥のコーナーの方を目で指し示す。

「それにしても佐伯さんが辞めた後、暫くひどい目に逢ったんだからね」
急に思い出したように柳瀬が言う。
「佐伯さんの代わりに営業事務担当になった子のこと覚えてる?あの子全然使えなくてさ、あの後直ぐ辞めちゃったんだよ」
「え、そうだったの」引継ぎの時に、お洒落だけど何となく浮ついた感じのする子だとは思っていたが、
その悪い予想がまさか的中していたとは。
「余りにミスがひどいから課長が少しきつく注意したら泣いちゃって、それはまあ大目に見て良いとして、問題はその後、黙ってそのまま帰っちゃったんだよね。あれにはびっくりした」あの温厚な吉野課長がきつく言うなんてどれだけミスしたんだ、と思うと眩暈がする。しかも職場放棄とは、どれだけ甘ちゃんなんだろう。
「それでさ、次に来た人はすごく真面目なんだけど、ガチガチで融通が利かないんだよなぁ。得意先から催促やクレームの電話が来たら、佐伯さんは上手く言い繕ってくれていたじゃない。それをさあ」と言いかけて、
「いやいや、久しぶりの再会でいきなり愚痴も無いか」と笑う。

「折角だから立ち話も何だし、この後予定ある?」美沙が今日は暇だと言うと、
「今から叔父の使いでひとっ走り行かなきゃならないんだけど、30分程で戻るから良かったら少し待ってて貰って良いかな。一緒にランチでもどう」いつも伝票待たせてたお詫びに奢るよ、とにやりとする。
「ついでに冷やかしがてら叔父の所でも覗いてやってくれない。全然買う必要ないし、サクラがいたら他の客が寄って来るかもね」柳瀬の言葉に思わず吹き出しそうになる。
柳瀬は美沙に叔父の店のコーナーを教えると「じゃあ、すぐ戻るわ」と足早に立ち去って行った。
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by _kyo_kyo | 2011-02-12 00:23 | 小説 | Comments(2)

夢見るダイアモンド  2

            2

いざ外出となると自然と心が浮き立つのを覚える。
美沙は迷いに迷った挙句、胸元がVに開き、
襟がグレーのシフォンで幾重にも重なった黒のベルベットのワンピースに決めた。
一見地味な黒のワンピースだけれど、
実際に着てみると女らしい体系が適度に際立ち、背もすらりとして見えるのが嬉しい。
名の通ったデザイナー物だけあって決して安い買い物ではなかったし、
買う時には随分躊躇したが、やっぱり買っておいて良かったと思う。

今日は何時もより少しだけ念入りにマスカラをつける。
色はシフォンの襟に合わせて少し明るめのブルーグレーを選ぶ。
眉もさっと同じ色でなぞり、その代わり口紅は赤いルージュを引いてみる。
シンプルな黒の装いの中で、唇だけ真っ赤な花のように際立って印象的だ。
靴は黒のオープントゥのハイヒール。バックル代わりに繊細な銀のチェーンが揺れている。
街中を歩き続けるにはちょっと疲れるけれど、きれいな足首に見せてくれるお気に入りの靴だ。

全体にシンプルではあるが、なかなか洒落た装いだと思う。
街並みを歩きながらショーウインドーに映る自分の姿は、まるでモデルのように格好良く感じられる。
良い女になった気分のまま、お目当てのデパートに飛び込むと、
先ずは甘味処で一息つこうと一気にエレベーターで5階まで上がって行った。
何度も行った事のある『ふくふく亭』の暖簾をくぐると黒蜜の甘い香りが漂っている。

「いらっしゃい」和服姿のぽっちゃりとした女将が笑顔で出迎えてくれる。
「お久しぶり」ここの女将とはカルチャースクールの帰りに何度か立ち寄って以来の顔馴染だ。
「今日はお買い物?」美沙のテーブルにお茶を置くと、女将はそのまま話し続ける気配だ。
この時間帯、まだ誰も客がいないから少し位話しても大丈夫と思ったのだろう。

「家にいても退屈だから遊びに出てきちゃった。久しぶりだし、ウインドーショッピングでもしようかと思って」
「あら、それだったら催し物会場を覗いて行きなさいよ。丁度今日から宝飾市だから、きっと良い目玉商品があると思うわよ」
女将は「ほら」と言いながら中指に嵌めた大きな翡翠の指輪を見せびらかすように前にかざした。
「前の宝飾市の初日に買ったんだけど、目玉商品だったから奮発して買っちゃった。この石にしたらかなりの掘り出し物だったわよ」
着物姿の彼女に、落ち着いた深い緑の指輪が良く似合っていた。

「今日も仕事が済んだら何かないか見に行くつもり」女将は笑いながら言葉を続けた。
「贅沢品は女のストレス発散よ。好きな着物や宝石の為と思えば嫌な客でも笑顔で応対できるわ」
緑の指輪を嵌めた手を蝶々の様にひらひらとさせながら悪戯っぽく笑う。
「そんな贅沢ができるのはまだまだ先だなあ」
「同じお洒落するなら若い方が良いわよ。あなたならご主人と二人暮らしなんだし少しくらい贅沢できるでしょうに。贅沢はまだ早いなんて思っていると、あっと言う間にこんなおばあちゃんになっちゃうわよ」
年齢不詳ではあるがまだそんな歳では無いだろうにと思いながら、新たに入ってきた客へと足早に歩み去るその後姿を同性の憧れと値踏みの入り混じった目で眺めていた。
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by _kyo_kyo | 2011-02-02 05:29 | 小説 | Comments(2)