事故から一週間が過ぎ、美沙の足や腕の傷は紫色の痣になり、
結構みっともない有様になったけれど、痛みの方は随分と薄れてきた。 「痣も薄れてきてるし、もう大丈夫」 美沙は自分に言い聞かせるともなく呟いた。 実はそろそろ外に出掛けたくてうずうずしていたのだ。 そして心の中に小さなほころびを感じ始めていた。 それは日常のたわいもない不満、本当に些細な事。 けれどそれが蓄積して、自分の中で抑えようもない力で押し上げてくるのを怯えながら感じ取っていた。 「いらっしゃい」 店主の笑顔は最初に会った時と変わらず穏やかでやわらかい。 彼が、婚約者の失踪という不幸に見舞われたことなど、 弘樹から聞いていなかったら、全く想像もつかなかったことだろう。 「今日はお願いがあって参りました」美沙は神妙に切り出した。 「はい?」 今日は弘樹もいないようだ。寧ろそっちの方が都合が良いかもしれない。 「柳瀬さん、唐突なんですけれど、弟子にしてもらえませんか。私、ここで修行をして、あの指輪を自分の手でリホームしてみたいんです」 ひと息に言ってから顔がかあっと熱くなった。 馬鹿なことを言っているのは十分承知のつもりだった。 恥ずかしくて柳瀬さんの顔がまともに見れない。 けれど、意に反して落ち着いた声の返事が返ってきた。 「弟子を取るほど手広くはやっていないんですが、あなただったら良いかもしれませんね」 え、、っと息をのむ。何を言われたのか理解するまでに途方もない時間が流れて行った気がした。 実際はほんの数秒の事だろうけれど・・・。 「本当に良いんですか」 言いながら何だか自分の目が泳いでいる。 「良いも何も、あなたのその熱意は本物だと感じました。実際は少し試しに彫金の基本をやって見て、 それを見てからの本採用となりますがね」 いたずらっ子の様な顔で「あんまり不器用では困りますからね」と笑っている。 「そんなとんでもないです。ダメもとで弟子入りなんて図々しい事をお願いしました。本当に何と言ったら良いやら」 感激と緊張に涙ぐむ美沙に「まだ採用と決まった訳ではないですよ」と笑っている。 本当にこんなことってあるんだろうか。 美沙は自分で言い出した事なのに、あまりにも簡単にOKが貰えてちょっと怖気づいてしまっていた。 けれどこれでOKが貰えれば、自分の中の何かが確実に変わると確信していた。
by _kyo_kyo
| 2015-10-08 22:26
| 小説
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