叔母が、私に詩は書いていますかと聞いてくる。
叔母は歌人だ。 しかももう90才だろう。 同い年の母はもうずいぶん前に亡くなった。 けれど叔母は遠く離れた地からでも メールで聞いてくる、今も書いてますか? 痛いとこ突かれちゃうよなあ。 一人暮らしで、仲の良かった妹にも先立たれ、 それでも尚、叔母は私や、姪っ子への気遣いを欠かさない。 私もそんな大人になりたいと思う、この歳で。 私もそんな大人でありたいと思う、この歳だからこそ。 ■
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by _kyo_kyo
| 2017-07-24 17:05
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ずっと以前に、私の親友の息子さんが名古屋の専門学校に入学した。
調律の学校で、なかなか優秀だったそうだ。 私は、名古屋のお母ちゃん気分で入学説明会や、卒業式にまで行った記憶がある。 本人は男の子だからきっ迷惑だったに違いないが、遠慮して言えなかったことだろう。 まあそれは置いといて(学祭にも行ってすっかり楽しんでいた私であるが) 彼は地元に近い水戸の大手楽器店に調律師として就職がかなった。 のであるが、その後、右翼曲折を得て、会社を退職し、先輩の飲食店を手伝っていると聞いていた。 のは、本人からではなく無論親友である彼の母親からである。 その彼が、今度水戸に店を出すという。 良く実体が分からないでいたら、そのうち親友がインディーズのCDを送ってくれた。 私はそれを聴いて滅茶苦茶に感動してしまった。 ANORAK JOYというグループでホークギターを掻き鳴らしながらボーカルを務めている。 このサウンドは気持ち良い。それが正直な感想だ。 彼の姿はユーチューブでも見ることが出来る。PVも作って貰ったのだ。 生まれた頃から知っていて、一緒にキャンプにも行った事のある息子(親友の)が、 今、正にプロになろうとしている。 少しでも、多くの人にこの音楽を聴いて貰いたい。 彼らの演奏する姿を見て欲しい。 親ばかって、こういうのを言うんだろうか。。 でも、私は彼の才能は本物だと思う。 でもって、本人からはなんの報告も無いのだわ~~(笑) もし少しでも興味が湧いたら、Anorak jyo 佐藤大地で検索してみてください。 若いけれど、均整のとれたとてもバランス感覚の良い音楽に巡り会えると思います。 帯にカジヒデキさんが書いてくれている言葉がそのまま彼らの音楽を表していると思います。 「小粋なギターのフレーズに、高鳴るトランペットやグロックッケンの音色。男女のツインボーカル。あぁこれこそ僕の理想的なインディーズポップのスタイル。完璧なブルーハート!ホリディ―の匂いをまとって、若き情熱溢れるアノラッカーよ。ハイランドへいざ進め!」 ■
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by _kyo_kyo
| 2017-07-24 16:19
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生まれてきてくれて有難う
私の娘になってくれて有難う 甘えてくれて有難う 威張ってくれて有難う 我が家のアイドル(愛猫)くりが6月13日に永眠しました。 去年の夏に乳癌が見つかって、 それからずっと手術した方が良いのか、 病院通いをした方が良いのか、 選択に迷いに迷いながら、何もしないという道を取りました。 まだ若かったらきっと諦められなくて手術を選んだかもしれません。 でも12、3になる歳を考えると、しかも何も分からない状態の子を他人様に預けてしまうリスクを考えると、 真っ先に娘が「手術はしない」という苦渋の決断をしました。 それでも腫瘍が大きくなってきて、心配になった私達は、 他の病院にくりを連れて(セカンドオピニオン)本当に癌か確認して頂きました。 結果は案の定末期癌。 抗生剤を注射されるとき、じっとしながらも怖がるくりを見て、 何もしないという意思が更に強くなりました。 腫瘍が更に大きくなり血と膿が溢れるようになってからは、 傷口を数倍に薄めたうがい薬で消毒し、止血の為に生理用ナプキンを当てて、 キッチンペーパーと絆創膏で包み、 包帯でしっかりと固定することを出来るだけ朝晩二回行いました。 腫瘍は更に大きくなり最後には握り拳二つ分ほどに育ってしまいました。 膿も二か所から溢れ、ナプキンでは覆えなくなった為、 大人用の尿取りパットを購入してあてがいました。 これはとても優秀で、膿の匂いも漏らさず、しっかり血も膿も吸収する為、 本人へのストレスも本当に少なくて済みました。 私達への救いは、くりの内臓への転移がおそらく無かったであろうこと。 死ぬ数日前まで、良く食べ、しっかり水を飲んでいました。 ただ病気になってからは、水よりもお湯を好むようになりましたっけ。 そして母さくらがものすごい焼餅を焼く様になり、 くりを追い回すようになりました。 最後の頃にはさくらがテンカンの発作をおかしてぶっ倒れながら失禁するようになり、 病人が2匹になって神経的にこっちも疲れ果てましたっけ。 けれどさくらの気持ちも分かるので、それからは絶対怒らない、 なるべく可愛がる、を心掛けるようにしていきました。 くりは最初一人で雨の中ベランダに出ていたりして、 さくらから身を隠そうとして本当に心配でしたが、 お風呂場に移動したり、玄関に居場所を作ってあげたらそこに行くようになったりと、 なるべく私達の傍に居たがるようになってくれて安心しました。 父猫みゅうは、牛乳が大好きなのですが、 くりが先に飲みだすと、欲しそうにうろうろしながらも、 くりが飲み終わるまで絶対に飲もうとはしませんでした。 くりの症状は急に悪化しました。 無論私達が気が付かなかっただけなのかも知れませんが、 最悪安楽死まで覚悟していた私としては、 苦しまずに行けたことが本当に良かった。 二三日、食欲が落ちて、 浴びるように飲んでいた水も少ししか飲まなくなったので、 折からの暑さでばてているのか、悪化したのかと心配でしたが、 12日の夜、包帯替えの時に今までの様に立っていられなくなり、 急に横になってしまい、これは最期が近いと確信しました。 夜中に娘が、くりの手足がどんどん冷えて行くと心配して、 明け方まで付き添っていました。 早朝仕事だった私も心配になって何度も見に行き、 結局一時間しか眠れませんでした。 6時に仕事に出る時も、くりは動けず、 死の間近に迫って来ている事を確信しましたが、 2時ごろ帰って来たときはまだ息があって、 一人で行かせないですんだことを感謝しました。 指に水をつけて口に持って行っても舐めようとしないので、 半ば口をこじ開けるようにして舌に指をつけると、 ごくんと飲みこんだようでした。 そのままずっと話しかけながら、 行かないでと言っていたけれど、これではいけないと思い、 もう楽になっていいんだからねと語りかけました。 ずっとそばにいて欲しいという思いと、 楽にしてあげたいという思い。 最後に勝つのは、くりの為、ただくりが楽になれることでしょう。 傍にいるから安心してお眠り、 ずっとそばにいるから何も怖くないよ それで、いつか、ずっと先になってもいいから、 私達の事を忘れててもいいから、 娘のところに帰っておいで 私達はずっと待っているからいつかきっと戻っておいで くりの体は氷の様に冷たくて、 体は羽の様に軽いのにまだ命は消えていなかった。 そんな辛い思いをもうしなくていいよ。 くりは眠る様に亡くなりました。 寒くて苦しくて、怖かったろうに、 でもついていてあげることが出来て、一人ぼっちじゃなくて良かったと、 思いました。 何だか、私達の帰りを待っていた様な気がするんです。 主人と娘は間に合うことが叶いませんでしたが、 これ以上苦しみを長引かせるには忍びなかったです。 私はくりの死にざまを忘れない。 自分もあんな風に立派に死にたいと思いました。 大往生だったと思います。 それから不思議なことに、 いつもさくらに苛められているみゅうが、 一度だけ、執拗にさくらを苛めに行ったんです。 かみつくわけではないけれど、 じりじりと追いつめるように迫って、 軽くパンチを・・・ くりの死が分かって、さくらを怒っているようでした。 さくらは大人しくなり、 てんかんの発作も治まったようです。 彼女も愛情に飢えた可哀想な子なんです。 くり、さくらを許してやってね。 ■
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by _kyo_kyo
| 2014-06-27 13:51
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今年も新しい年が始まりました。
実は2日の午後から私以外皆仕事が入ってしまって、 お正月気分の殆ど無かった我が家でしたが、 無病息災を願って近所の神社に家族でお参りに行きました。 でもって、3が日過ぎた夜の神社って、なんか怖い。 しかも・・・ 賽銭箱が仕舞われている!! 硝子越しにお参りかい! 運も尽きも落ちるぞと、悪態をつきながら、 また来ようねと娘に慰められつつ、 やっぱりねえ、賽銭箱も盗難防止だよねえ、 こんな時期に来る方が悪いんだよねぇ、と主人に嫌味を言う私です。 歳と共にどんどん性格は悪くなって行きますが、 今年も福袋は買いに行きました~~!! (やっぱりと言う、みなさんの声が聞こえてきそう・・・) でも今年の23区は大当たりだったんですよ~ アホだと思うでしょうが、詳しいレポはまた後日~! ■
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by _kyo_kyo
| 2014-01-05 20:03
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紅白を見ながら煮しめなど作っているうちに、2012年が終わってしまいました。
2013年なのだなあ、とぼんやり考えてみたりする。 元旦から娘とお出かけ嬉しいな♪ ただのショッピングですけれどね、私はもうそんなに関心が無いと言えば無いけど、 一緒に色々と見て歩くのが楽しいのです。 それでは皆様も良いお年を^^ ■
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by _kyo_kyo
| 2013-01-01 02:51
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今まで、投稿とかそういったものとは全く無縁の世界におりましたが、
偶然叔母に見せた自作の詩がきっかけとなり、 自分の出身地で開催している文芸祭への投稿を強く勧められました。 そういったものには応募しない主義でいたので(要は自信が無いだけの軟弱者なので) 叔母の強い勧めがなかったらきっと一生応募する事も無かったでしょう。 初投稿ということで、歳だけはとっても随分不安もありましたが、 8月の暮れに出身地で文芸奨励賞を頂きました。 これに応募する事が結果、手直しの為自分の作品を大きく見直すきっかけとなりました。 それまで良いと思っていた作品を、客観的にどれだけ自分が見ることが出来ないでいたか、 未熟な作品をどれだけ不完全なまま放置していたか、数え上げればきりがありません。 その弾みもついて、大幅に再度作品の推敲に入りました。 推敲しながら、今度はダメもとで地元の文芸祭にも応募しようと考えましたが、 推敲に没頭するあまり期限を忘れ、当初考えていた作品の推敲は困難となり、 推敲の終わった違う作品を応募することに致しました。 発表の10月下旬も終わりに近づき、完全に諦めていた頃に葉書が舞い込み、 市民文芸祭で佳作に選ばれることが出来ました。 どちらも大賞には遠く及びませんが、これも皆様のお陰と心より感謝しております。 そして、私の詩には深みが無い点を深く感じ、 佳作に終わったことを少し恥ずかしくも感じてもおります。 応募は、これからまたするかどうかは分かりませんが、 いつかもっと自分に満足のいく作品が出来るように、 これからも生きている限りより精進していきたいと思います。 この拙いブログを読んで下さる全ての皆様に感謝を込めて、 これからもどうぞ末永く宜しくお願い致します。 ■
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by _kyo_kyo
| 2012-11-04 16:55
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私が手術を終え、退院して直ぐに待っていたのは、
重度の認知症を患って施設にいる母が、殆ど食事(ゼリー状の物)を食べ無くなった為、 胃ろうにするか、それとも自宅に引き取って看取り介護にするかの選択だった。 せめて1週間待ってとお願いして、 食べないなんて事は無いのではと毎日食事の為に通い、実際母は何とか嬉しそうに食べてくれたのだが、 施設からは、私が完食させると翌日の朝から何も食べない、 もしくは、完食しても本来の食事の半分の量なので、更にプラスアルファ食べさせることが出来ますかと言うものだった。 そして、施設では母にそんなに手を掛ける時間も無いし、何より肺炎を起す誤飲が怖い。 また、食べるのを嫌がるのに無理やり食べさせるのが職員も苦痛と言うことであった。 最初から本当は分っていた。もう選択の余地は無いのだと言うことが。 それでも心が納得出来なかった。まだ何とかならないのかと足掻いてしまった。 食べれるのに、という思いと、これ以上は施設に負担を掛けられないという思いがせめぎ合い、 それでも自宅に引き取れば数日から数週間の命と聞けば、 延命なんてと思っていた筈なのに、胃ロウの手術をお願いせざるを得なくなった。 震災で苦しむ人々を思えば、これはとても贅沢な悩みだとも思った。 それでも胃ろうにすれば長生き出来る。 実際主人の母は良いか悪いかは別として、全身不随の体でも兄弟の意思で胃ロウで今も生きながらえている。 そう思ったが手術直前の検査結果で肺炎の疑いが出て、 更に肺炎では無く結核かも言われ、もしそうならここでは治療できないので転院してもらいますと言われ、 更に数日検査があり、うつりはしないが非定型抗酸菌症という治りにくい病に冒されている事が分った。 その時点では、微熱が続く程度で、 医師からももう少し元気になったら胃ろうを作って長期療養型病院へ転院しましょうという話だった。 完治には半年は掛かると言われ、長丁場を覚悟したのだった。 母の様態はまた暫くして急変した。前回は大丈夫だったのに肺の半分が急に真っ白になったと言う事だった。 それから二三日、母は呼吸困難に陥った。連絡があった時、今すぐどうという訳ではないですがと言われた。 その数日後、どうしても一日行けず、翌日夕方6時過ぎまで母の元にいた。 もう意識は無いようだったが、何時ものように音楽をイヤホンで聞かせてあげていた。 以前は行くと、何も話せ無くても、誰か分らなくても、本当に一瞬にっこりしたものだ。 「00さんはここではちょとアイドルなんですよ」と看護婦さんの言ってくれたのが嬉しかった。 バスで家に戻って夕食の準備をと思った時に電話があった。母の様子が危ないとの事だった。 今まで、一緒にいたのにどうして、と本当に信じられない思いが一瞬身を貫いたが、 実際は少しずつ弱っていて、直ぐ後で更に急変したとの事だった。 7時前だった。何分で来られますかと聞かれ、主人が20分と答えた後、直ぐにまた電話が鳴り、 直ぐに来てください、との事だった。 幸い娘もおり、家族全員で向かうことが出来たが、病院に着いた時、母はまだ生きているように温かかったが心停止だった。 不思議と悲しみは無かった。父の時もそうだったが、長いこと辛い思いをして、やっと楽になれて良かったね、という思いだった。 看護士さんは男の方で、この方は何時もとても良くして下さって特に感謝している。 最後にその方と一緒に母のお清めをして、後から白粉と口紅を持って来てくれたので、私が白粉を、その方が仕上げに口紅をつけてくれた。 医師はとても忙しそうだったが、母の処置はとても適切だったと思っている。 もし胃ろうを作れていたら、栄養も取れたから病気に対する薬も投与出来ただろう。 でも、寧ろ胃ろうを作って痛い思いをして死なずに済んで良かったと思う事にしている。 母は5月23日に亡くなった。奇しくも娘の誕生日である。 葬儀の手続きの後、家に帰ってケーキを前に、忘れられない誕生日となったねと家族で話した。 父の亡くなった時の地獄の苦しみを思えば、今の私の心はとても安らかだ。 無論、母への仕打ちを悔やむことが無い訳ではない。寧ろ後悔は父のときよりずっと多い。 しかし、悔やんでも事態は何も変わらないのだ。 私はまだ生きている。振り返る時間はまだずっと後で良い。 PS,最後に: 介護施設で働く全ての人に、有難うの言葉を届けたい。 汚いこと、辛いこと、嫌な事、本当にいっぱいあるのに、 全部ひっくるめて、手取り足取り面倒を見て下さって、本当に有難う御座います。 自分の体を大切に、出来れば無理の無い程度に、これからも頑張って行ってください。 そして看護士の方達、 同じように嫌な事、辛い事、汚いこともいっぱいあるのに、 いつも笑顔で接して下さって本当に励まされます。 笑顔一つで患者も家族も救われるんです。 ありがとう、感謝しています。 そして医師のみなさん、今回お世話になったドクターは勿論、 厳しい現実の中で、常に死と隣り合わせの様な現場で、 真剣に取り組んで下さるその姿には頭が下がります。 本当に有難う御座います。 今回は家族葬で行ったので、親切にして下さった担当の方にも感謝です。 こじんまりとした、けれど母らしい、花いっぱいの良いお葬式となりました。 まだまだお世話になった方は果てしないくらいいっぱいで、 そして感謝したい人もいっぱいです。 全部の人にこの思いが伝わると良いな。 みんなが幸せでありますように。 そして、みんなが辛い日々を過ごしませんように。 ■
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by _kyo_kyo
| 2011-06-12 05:23
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今までずっと傍で跳ねてる君の姿を見てるだけで、
どれだけ癒されて来たことでしょう。 君の呟きに、びっくりさせられたり、 感心させられたり、にまにましたり。 一人、孤独な夜には、 君を相手にずうっと話し続けたり、 どれだけ君の存在に助けられたか知れません。 今の私は大分元気になって、 仕事もばりばり?こなせるようになって、 いつしか君と語らう時間は減ってしまったけれど、 それでも傍らで元気に跳ねてる君の姿、 私の中では大切な何かになっていました。 君の紡ぎ出す言葉は、君にしか出来ない言葉で、 私はそれがとても楽しくて、何だか誇らしくて、 そんな時間が、これからもずっと持てるものだと思っていました。 君とまた会えるかな、 またこんな風に詩を詠んでくれるかな? 私はまだ君を必要としてるんだと思います。 だって、あんなに苦楽を共にしてきた仲なのだもの。 15日までだけれど、今まで本当にありがとう、 そしてまた会える日の来ることをきっと信じて。 ■
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by _kyo_kyo
| 2010-12-07 22:24
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雨でもいい
風が吹いてもへいちゃら みんなが大好きだもん いっぱい有り難うって伝えたいんだ 私の中のちっちゃいけど大きな幸せ あなたの元にもちゃんと届いていますか ■
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by _kyo_kyo
| 2007-12-12 15:38
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(今日(正確には昨日)、ドリカムのコンサート行って来ました♪
でも、その話はまた後日にということで・・・) 自分のブログを開く時、 読んでくれている人が何人居ようが居まいが、 それは本当はあまり関係が無い事で、 けれどやはり素直に嬉しい訳です。 自分の仲の良い人に読んで貰っていると恥ずかしい反面嬉しい。 自分が好きな人に読んで貰っていると知るととても有難いし、 もしくは、自分が全く知らない人が読んでくれているかも知れないと思うと、 一体どんな方なのかなあと興味も湧きます。 もう読んでくれていないだろうな、と思った方から、 思いもかけず声をかけて頂くと、本当に心の中で手を合わせちゃう気分。 そしてどんな方からでも、ブログに心の篭ったコメントを頂いた時には、 それはそれは温かい、幸せな気分になります^^ 前はただマイペースで良いや、と独りよがりな時もありました。 己の内面を露土することで、どんどん自分を浄化して行く様な感じで、 長いこと「書く」という事から遠ざかっていた自分には、 「詩を書く」ということ自体がおこがましかった。 それが何時からかこうやって書き続けることで、 何時しか自分の中にしっかりとした根っこの様なものを感じる様になってきました。 ただ、それを追求するにはあまりに私の表現力は拙く、 自分の尻尾を追い駆けてはくるくる回るショパンの「子犬のワルツ」の様に、 同じ言葉をただ繰返すだけでしかない自分の芸の無さにしばしば落ち込んだり、 こうやって書く事にどんな意味があるのだろうと、いっそ書くことをやめ様かと思う事も。 そんな私を書かせてくれたのは、読んでくれている人がいる、ということ。 思いやりのある言葉、共感を覚えたと言って下さる人の言葉、 同じように悩んだり悲しみを抱えて生きている人達の温かい眼差し。 みんな、本当にありがとう。 うまく言葉では言い表せない位、いつも感謝しています。 もっとみんなの所へ行って、私も言葉を残さなくちゃなあと思いつつ、 先ずはここから、感謝の言葉を発信します 「やほーみんな元気かい? 私は元気で頑張るよ! これからも、きっと、ずっと、宜しくね^^」 ■
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by _kyo_kyo
| 2007-09-03 05:22
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