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カテゴリ:感謝( 21 )

志村けんさん逝く

コロナウイルスで肺炎となり入院闘病中だった志村けんさん70歳が、お亡くなりになりました。

ただただ、衝撃と悲しみが溢れています。

私も肺炎で死にかけたことがあるから分かるけれど、あんな苦しいことってない。

少しでも安らかに逝けたのなら良かったのだけれど、と思う事しか出来ません。



ドリフターズの中では後から入って来てどんどん目立ってきた志村けんさん。

元からいたメンバーを追い抜く程の人気者になっていった。

先日その頃のいきさつもテレビでやってたけれど、大変な思いをしながらここまで

やって来たのだなと見ていました。

ただ私はバカ殿とか好きになれなくって、昔は好きなタレントさんではなかった。


それがだいぶ前から、時々テレビで放映中の志村動物園を見るようになって、

あの番組はもう企画が凄いから、私なんて仕事から帰ってそのまま見始めたら涙涙で大洪水。

そして、いつも笑顔で怒る事の無い園長に心が癒されて行った。

本当は怒る事もあったかもしれない、人間だもの。

それでもスタッフやメンバー達が自由にやってるのをにこにこしながら見ている志村園長は、

実はとんでもなく凄い人なんだと感じた。

チンパンジーのプリンちゃんの園長への慕い方も凄いけれど、

今は大人になって人とはふれ合う事のなくなった先代のパン君も、

遠くから呼ばれるとちゃんと分って寄ってくる。

それに園長が時々出すアイデアがまたすごくって、やっぱり

こういう仕事に真剣に取り組んでらっしゃる方だなあと楽しく拝見していたものだ。

書いてるだけで泣けてくる。


私の私見でしかないけれど、こんなに皆に愛されたタレントって珍しいのではないかしら。

気取らず気さくで、優しい方だった。

私の中の志村けんさんはそういう人だったなあ。

朝ドラで拝見するのを楽しみにしていたのに・・・

映画もこれからだったのに・・・

どれだけ無念でしょう、まだまだ皆を笑わせて欲しかった。

志村けんさん、今まで有難う。頑張ってきましたね。

これからはどうか、ゆっくりと休んで下さい。
by _kyo_kyo | 2020-03-30 14:08 | 感謝 | Trackback | Comments(8)

眼の方順調です

やっと保護用コンタクトレンズが外れました!
わ~~い、やった~~~♪
これで、やっと洗顔が出来ます。
お風呂も肩まで入れるし、髪も洗って大丈夫に。

髪の毛は短く切っておいたけど、やっぱりそろそろ洗わないと限界だったし、
うつむいて洗ったら駄目だから、自分じゃ洗えないんです。
本当に助かった。
お風呂も寒いしね、肩までゆっくり浸かりたかったから、
これで震えながら入らなくても大丈夫^^

皆さんには、大騒ぎして、心配お掛けして済みませんでした。
まだ点眼は必要ですが、もう普通の生活に戻れます。
でも、少しだけ(自分が)心配だから、あまり埃っぽいことはしないでおこう、
(掃除)とか、勝手な事を思ってます。
by _kyo_kyo | 2020-02-06 19:44 | 感謝 | Trackback | Comments(24)

感謝を込めて。目の手術から3日目です

かなり楽になってきましたが、初日は悶絶してました。
目蓋の中で目が動いても痛い、寝返り打ったらもっと痛い、
手を伸ばしても痛い・・・

私の場合、長い期間(20年近く)放置してたから他の人より削る部分が多くて、
それで余計に痛いのかな~とか、勝手に自己分析してました。
今回90%は取れたとの事。
レーザーしてる間カウントが聞こえてちょっとドキドキしました。
これも、殆ど痛みの無い人もいるらしいです。。。個人差があるって、、
痛くない人が羨ましい(涙)

前回の時は目の手術の3日目に整形に入院して、4日目には手首の骨折の手術をしたのだから、
自分でも良くやったと思います。必死だったから出来たんだろうなあ。
手首の手術後に目が凄く痛くなって、でも当然ロキソニンも貰えなくて、
痛み止めの目薬ももう無くて、目も手首も痛くて、とんでもない目に。

今回は、手術翌日、診察までは緊張してたせいか持ちこたえてましたが、
帰ってから痛みがぶり返して、痛み止めの目薬で10分位は楽に。
その間にロキソニン飲んで、適当にカレー作って
(何でカレーにしたか、馬鹿だと思いました。煮込み時間の間に寝たかった)
痛くなる前になんとか寝ることに。
目が疲れやすいのと、やはり痛いので、その日は早めに休みました。

実際、去年手術した右目は物凄くクリアに見えます。
視力もメガネして0.1も無かったのが、裸眼で0.7まで。
手術前の左目のが視力は良かったのに、その違いに驚きと感動を覚えてます。

手術前は、視界にすりガラス一枚置いて物を見ている感じでした。
でも両目とも見えていなかったから、自分がどこまで見えていないのか気が付かなかった。

人の顔、目の前に来ないと、下手したら来ても、分かりません。
レジでも品物、手にするまで分からない物も多々。
値札、見えてません。みんな半分記憶とカンだけでやってました。

それでも、実際にレジ業務で贋金は私が一番見つけてました。
何故なら、良く見えない分、必ず全てのお金に触るから。
触れて、確かめて、更によく見て確認をしないとレジが恐かったですから。
お蔭でレジ打ちも早くなりました。
見えてる人より正確で早かった自信もあります。

でも記憶力は情けないくらい無いです。
これは長い間やっていたので覚えていて良かったとしか言いようがないです。
じゃなかったら、クビになってますね。
仕事仲間は私の目の事知りませんでした。
言っておいた先輩も半分も理解出来てなかったと思います。

旧式のレジでしたから、お釣りがチャリンと出ません。
バーコードの無い品が殆どで、手打ち業務ばかり、新人さんは皆レジ嫌がりました。
当たり前ですね。一日で辞めた方もいました(笑)

私も今は無職ですが、新しいレジの業務は出来ないと思います。
前のは支払いは全て現金だったけど、今はみんなカード払いが常識。
働く側としては・・・未知の世界で怖い!

今回、左目にまだ角膜が出来ていないので、視力0,2でしたが、
角膜が再生されていくと、もっと視力戻るそう。
遠視(老眼)は信じられない位進みました(涙)


携帯の文字を最大に変えても全く見えません。
携帯持ってても何も見えない。
これからは老眼鏡必須です。しかも度の強いの。

痛みが引いて、角膜が再生されて、新しい眼鏡を作ったら世界が違って見えるでしょうね。
今、片目でも眼鏡していた時より物が鮮明に見えてます。
それでもまだ白内障はあるし、この病気は完治しないのでまた徐々に悪くなっていくそうですが、
この歳までここまで来たのだから今更どうって事ないと思います。

ただ、まだ目が痛いので、自分のブログしか見てません。
皆さんの記事も色々増えてるのかなとか、想像して楽しんでます。

ここで、こんなに皆さんに力を頂けるとは実際思ってもみませんでした。
当たり前ですが、見てくれる人も殆ど無く、
更新することに意味なんてあるのかなとも思っていました。

本当に有難うございます。
もうちょっとだけ目を労わっておきますね。
  
by _kyo_kyo | 2020-01-31 17:36 | 感謝 | Trackback | Comments(7)

手術終わりました

左目、終わりました。
なんとか耐えてましたが、やはり痛みが酷く点眼麻酔のお世話に。
薬の効いてるうちに、ご報告だけ。
痛みは数日続くけど、片目で見るのは出来ます。
コメントは見させていただいてます。
いいねも、有難うございます。
皆さんのお気持ちに感謝です。
お返事は後でゆっくり書かせてください。

点眼麻酔7滴しかないんです。
後はロキソニンで根性で耐えます。
明日もう少し貰えると助かるんですが、大変なお薬みたいですね。
では、もうちょっと頑張ってきます。
by _kyo_kyo | 2020-01-29 17:52 | 感謝 | Trackback | Comments(6)

数年前のみゅうです

数年前のみゅうです_b0059817_20132619.jpg

数年前のみゅうです_b0059817_19353886.jpg



画像のアップがなかなかできなくて、少し若い頃のみゅうと、ちょっと歳を取ってからのみゅうの画像です。
by _kyo_kyo | 2019-04-18 04:22 | 感謝 | Trackback | Comments(0)

みいこ叔母さん

叔母が、私に詩は書いていますかと聞いてくる。

叔母は歌人だ。

しかももう90才だろう。

同い年の母はもうずいぶん前に亡くなった。

けれど叔母は遠く離れた地からでも

メールで聞いてくる、今も書いてますか?

痛いとこ突かれちゃうよなあ。

一人暮らしで、仲の良かった妹にも先立たれ、

それでも尚、叔母は私や、姪っ子への気遣いを欠かさない。

私もそんな大人になりたいと思う、この歳で。

私もそんな大人でありたいと思う、この歳だからこそ。
by _kyo_kyo | 2017-07-24 17:05 | 感謝 | Trackback | Comments(8)

ANRAK JOY 佐藤大地

ずっと以前に、私の親友の息子さんが名古屋の専門学校に入学した。
調律の学校で、なかなか優秀だったそうだ。
私は、名古屋のお母ちゃん気分で入学説明会や、卒業式にまで行った記憶がある。
本人は男の子だからきっ迷惑だったに違いないが、遠慮して言えなかったことだろう。

まあそれは置いといて(学祭にも行ってすっかり楽しんでいた私であるが)
彼は地元に近い水戸の大手楽器店に調律師として就職がかなった。
のであるが、その後、右翼曲折を得て、会社を退職し、先輩の飲食店を手伝っていると聞いていた。
のは、本人からではなく無論親友である彼の母親からである。

その彼が、今度水戸に店を出すという。
良く実体が分からないでいたら、そのうち親友がインディーズのCDを送ってくれた。
私はそれを聴いて滅茶苦茶に感動してしまった。
ANORAK JOYというグループでホークギターを掻き鳴らしながらボーカルを務めている。
このサウンドは気持ち良い。それが正直な感想だ。
彼の姿はユーチューブでも見ることが出来る。PVも作って貰ったのだ。
生まれた頃から知っていて、一緒にキャンプにも行った事のある息子(親友の)が、
今、正にプロになろうとしている。
少しでも、多くの人にこの音楽を聴いて貰いたい。
彼らの演奏する姿を見て欲しい。
親ばかって、こういうのを言うんだろうか。。
でも、私は彼の才能は本物だと思う。

でもって、本人からはなんの報告も無いのだわ~~(笑)
もし少しでも興味が湧いたら、Anorak jyo 佐藤大地で検索してみてください。
若いけれど、均整のとれたとてもバランス感覚の良い音楽に巡り会えると思います。

帯にカジヒデキさんが書いてくれている言葉がそのまま彼らの音楽を表していると思います。
「小粋なギターのフレーズに、高鳴るトランペットやグロックッケンの音色。男女のツインボーカル。あぁこれこそ僕の理想的なインディーズポップのスタイル。完璧なブルーハート!ホリディ―の匂いをまとって、若き情熱溢れるアノラッカーよ。ハイランドへいざ進め!」
by _kyo_kyo | 2017-07-24 16:19 | 感謝 | Trackback | Comments(0)

くり、有難う・・・ 飼い猫 末期 乳癌

生まれてきてくれて有難う

私の娘になってくれて有難う

甘えてくれて有難う

威張ってくれて有難う


我が家のアイドル(愛猫)くりが6月13日に永眠しました。
去年の夏に乳癌が見つかって、
それからずっと手術した方が良いのか、
病院通いをした方が良いのか、
選択に迷いに迷いながら、何もしないという道を取りました。

まだ若かったらきっと諦められなくて手術を選んだかもしれません。
でも12、3になる歳を考えると、しかも何も分からない状態の子を他人様に預けてしまうリスクを考えると、
真っ先に娘が「手術はしない」という苦渋の決断をしました。
それでも腫瘍が大きくなってきて、心配になった私達は、
他の病院にくりを連れて(セカンドオピニオン)本当に癌か確認して頂きました。
結果は案の定末期癌。

抗生剤を注射されるとき、じっとしながらも怖がるくりを見て、
何もしないという意思が更に強くなりました。
腫瘍が更に大きくなり血と膿が溢れるようになってからは、
傷口を数倍に薄めたうがい薬で消毒し、止血の為に生理用ナプキンを当てて、
キッチンペーパーと絆創膏で包み、
包帯でしっかりと固定することを出来るだけ朝晩二回行いました。

腫瘍は更に大きくなり最後には握り拳二つ分ほどに育ってしまいました。
膿も二か所から溢れ、ナプキンでは覆えなくなった為、
大人用の尿取りパットを購入してあてがいました。
これはとても優秀で、膿の匂いも漏らさず、しっかり血も膿も吸収する為、
本人へのストレスも本当に少なくて済みました。

私達への救いは、くりの内臓への転移がおそらく無かったであろうこと。
死ぬ数日前まで、良く食べ、しっかり水を飲んでいました。
ただ病気になってからは、水よりもお湯を好むようになりましたっけ。

そして母さくらがものすごい焼餅を焼く様になり、
くりを追い回すようになりました。
最後の頃にはさくらがテンカンの発作をおかしてぶっ倒れながら失禁するようになり、
病人が2匹になって神経的にこっちも疲れ果てましたっけ。
けれどさくらの気持ちも分かるので、それからは絶対怒らない、
なるべく可愛がる、を心掛けるようにしていきました。

くりは最初一人で雨の中ベランダに出ていたりして、
さくらから身を隠そうとして本当に心配でしたが、
お風呂場に移動したり、玄関に居場所を作ってあげたらそこに行くようになったりと、
なるべく私達の傍に居たがるようになってくれて安心しました。

父猫みゅうは、牛乳が大好きなのですが、
くりが先に飲みだすと、欲しそうにうろうろしながらも、
くりが飲み終わるまで絶対に飲もうとはしませんでした。

くりの症状は急に悪化しました。
無論私達が気が付かなかっただけなのかも知れませんが、
最悪安楽死まで覚悟していた私としては、
苦しまずに行けたことが本当に良かった。

二三日、食欲が落ちて、
浴びるように飲んでいた水も少ししか飲まなくなったので、
折からの暑さでばてているのか、悪化したのかと心配でしたが、
12日の夜、包帯替えの時に今までの様に立っていられなくなり、
急に横になってしまい、これは最期が近いと確信しました。
夜中に娘が、くりの手足がどんどん冷えて行くと心配して、
明け方まで付き添っていました。
早朝仕事だった私も心配になって何度も見に行き、
結局一時間しか眠れませんでした。

6時に仕事に出る時も、くりは動けず、
死の間近に迫って来ている事を確信しましたが、
2時ごろ帰って来たときはまだ息があって、
一人で行かせないですんだことを感謝しました。
指に水をつけて口に持って行っても舐めようとしないので、
半ば口をこじ開けるようにして舌に指をつけると、
ごくんと飲みこんだようでした。

そのままずっと話しかけながら、
行かないでと言っていたけれど、これではいけないと思い、
もう楽になっていいんだからねと語りかけました。
ずっとそばにいて欲しいという思いと、
楽にしてあげたいという思い。

最後に勝つのは、くりの為、ただくりが楽になれることでしょう。

傍にいるから安心してお眠り、
ずっとそばにいるから何も怖くないよ
それで、いつか、ずっと先になってもいいから、
私達の事を忘れててもいいから、
娘のところに帰っておいで
私達はずっと待っているからいつかきっと戻っておいで

くりの体は氷の様に冷たくて、
体は羽の様に軽いのにまだ命は消えていなかった。
そんな辛い思いをもうしなくていいよ。

くりは眠る様に亡くなりました。

寒くて苦しくて、怖かったろうに、
でもついていてあげることが出来て、一人ぼっちじゃなくて良かったと、
思いました。

何だか、私達の帰りを待っていた様な気がするんです。
主人と娘は間に合うことが叶いませんでしたが、
これ以上苦しみを長引かせるには忍びなかったです。

私はくりの死にざまを忘れない。
自分もあんな風に立派に死にたいと思いました。
大往生だったと思います。

それから不思議なことに、
いつもさくらに苛められているみゅうが、
一度だけ、執拗にさくらを苛めに行ったんです。

かみつくわけではないけれど、
じりじりと追いつめるように迫って、
軽くパンチを・・・
くりの死が分かって、さくらを怒っているようでした。

さくらは大人しくなり、
てんかんの発作も治まったようです。
彼女も愛情に飢えた可哀想な子なんです。

くり、さくらを許してやってね。
by _kyo_kyo | 2014-06-27 13:51 | 感謝 | Trackback | Comments(2)

2014年明けましておめでとうございます

今年も新しい年が始まりました。
実は2日の午後から私以外皆仕事が入ってしまって、
お正月気分の殆ど無かった我が家でしたが、
無病息災を願って近所の神社に家族でお参りに行きました。

でもって、3が日過ぎた夜の神社って、なんか怖い。
しかも・・・
賽銭箱が仕舞われている!!

硝子越しにお参りかい!
運も尽きも落ちるぞと、悪態をつきながら、
また来ようねと娘に慰められつつ、
やっぱりねえ、賽銭箱も盗難防止だよねえ、
こんな時期に来る方が悪いんだよねぇ、と主人に嫌味を言う私です。

歳と共にどんどん性格は悪くなって行きますが、
今年も福袋は買いに行きました~~!!
(やっぱりと言う、みなさんの声が聞こえてきそう・・・)
でも今年の23区は大当たりだったんですよ~
アホだと思うでしょうが、詳しいレポはまた後日~!




by _kyo_kyo | 2014-01-05 20:03 | 感謝 | Trackback | Comments(8)

新年のご挨拶

紅白を見ながら煮しめなど作っているうちに、2012年が終わってしまいました。

2013年なのだなあ、とぼんやり考えてみたりする。
元旦から娘とお出かけ嬉しいな♪
ただのショッピングですけれどね、私はもうそんなに関心が無いと言えば無いけど、
一緒に色々と見て歩くのが楽しいのです。

それでは皆様も良いお年を^^
by _kyo_kyo | 2013-01-01 02:51 | 感謝 | Trackback | Comments(8)