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数年前のみゅうです

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画像のアップがなかなかできなくて、少し若い頃のみゅうと、ちょっと歳を取ってからのみゅうの画像です。
# by _kyo_kyo | 2019-04-18 04:22 | 感謝 | Trackback

老衰猫の介護 飼い猫ミュウの死 

去年の事となります。6月の私の誕生日の翌日でした。
みゅうが息を引き取りました。20歳の誕生日まで、あと半年も無かったと思います。

みゅうは甘ったれで、根性無しで、でも最高に素敵な仲間でした。
歳と共に、段々足腰が弱って来たので、その一年前くらいからリードを付けて、
私が夜に散歩に連れ出すようになりました。
このお蔭で、私は蚤にたかられてみゅう共々ひどい目にあいましたっけ。
何か月も痒みの原因が分からず、もしやと思ってからが大変でした。
それからはなるべく蚤のいない場所を中心に、気を付けながら散歩を再開しました。

みゅうも最初は自分からあちこち移動したがりましたが、
そのうち出てもすぐ帰ったり、玄関先からUターンになったりと、
色々なパターンとなりましたが、やはり毎日寝て食べるだけの生活が可哀そうに思えて、
時々は抱っこして散歩に連れ出したりもしていました。

それと同時にトイレも失敗することが増えてきて、
トイレをまたぐことが出来ない、トイレまで行く時間が無い、等々、老化を感じさせることが多くなりました。
トイレはカバーを取って、台所に近い場所に移動することで大分良くなりましたが、
それでも老化が進むとあたりかまわずお漏らしをしていたように記憶しています。
最初は嫌がっていたトイレシートでしたが、お漏らしをしそうになる時に急いで敷いてやると
そのうちそこですることが多くなり、大分助かりました。

そうこうするうちに再発したのが癲癇でした。
これはさくらで経験済みだったので、またえらいことになったと覚悟しましたが、
対処法も大分分かっていて引きつけを起こしたら大声を出さず、
なるべく静かにして猫をすっぽり毛布やタオルケットなどで包んでやります。
そのままじっと引きつけの収まるまで押さえていてやるだけです。
ただ、心臓への負担が半端ないので、この時も獣医に連れて行きました。

つい一年前のことなのに、もう殆ど記憶があいまいです。
医者でどんな治療をしたのかもはっきりしていません。
ただ、腎臓に毒素がまわって起こるというように認識しています。
食べ物でそういったダメージの少ないものを購入して与えていたと思います。

それからは一気に悪くなっていくばかりで、
まず食欲が落ちたため、好きな刺身や、鳥のささみを湯がいて小さく切って手で与えていました。
注射もして頂いたのですが、痩せこけてしまって血管に針が入って行かない。
あのおとなしいみゅうが、何度も針を刺されるのを嫌がって、
鳴いて暴れて、唸って、かみついて、終いには本気で私の手を噛みました。
骨まで突き刺さるかと思うほどの勢いに、流石に私も本気で怒って、頭をこづきましたが、
それくらい何度もやってやっと針が通るくらいで、可哀想だった。

それでもまだ食べられるうちは生きられる望みもありましたが、
全く食欲が落ち、何も食べず、水も飲めない状態になったみゅうを見ているのは辛かったです。
何度か口を湿らせてやって、スポイトで汁を含ませて。
その二、三日後の夜中に逝ってしまいました。
目に生気の消えたその姿は、仕方のないものと思っていてもやるせなかったです。

今、みゅうの眠る土の上にもやっと草花が芽を出しはじめました。
隣に眠る娘のくりは私の誕生日に逝ったんですよ。
偶然でしょうが、何か感慨深いものを。感じています。





# by _kyo_kyo | 2019-04-16 18:40 | 雑記 | Trackback

過去の詩を全て公開しました

おそらく一度公開した詩の中で結構非公開にしていた物があったと思いますが、
今回、久しぶりにPCを起動させることが出来たので、
ついでに全ての詩を公開することが出来ました。
自分の中では、もっと書いていた様な気がするのですが、
過去に書き溜めていた詩は別ですが、
思っていたより少なく、そしてなんというか、
推敲されていない物ばかりなので残念としか言いようがありません。
もう少し時間を掛けながら、新しい自分と向き合いつつ、
過去の自分とも語り合う機会が持てたならと思うこの頃です。
また次の機会にでも近況をご報告出来たならと思いますが、
知ったブロガーさん達が殆どお休みしていたり辞めていたりの現状で、
その必要があるのかとも思いますが、自分も一年位はここから離れていたんですよねえ。
今のブログは画像の無いブログはお呼びで無いのか?と思うほどですが、
時間も無いので、極力今までのスタイルでいくんだろうとは思います。
それでは、どうぞ宜しく。

# by _kyo_kyo | 2019-04-15 05:20 | 呟き | Trackback

春の桜の

時は春 花は桜

この時を待ち焦がれた人々から

やんややんやの喝采を浴びる

その花びらのなんと柔らかく淡いことよ

突風に煽られて一斉に舞う花びらの

辺り一面はらはらと毀れる美しさ

けれど桜は愛でられる為に咲く訳では無い

美しさを競う為に咲く訳でも無い

ましてや散りゆく姿を見せる為に花開く訳でも無い

誰の為に咲く訳でも無いのだ

その無心が心憎い

そして何処までも美しいと思わせるのだ


















# by _kyo_kyo | 2019-04-15 05:04 | | Trackback

切なさの数は限り無くて

掛けた筈の鍵が何処にも見つからず

思い出の欠片を必死で掻き集めている

その行為に何か意味があるのだろうか

沢山の死が脱ぎかけた衣服の様に纏わりついて剥がれない

その感覚に慣れることは絶対無いけれど

さりとて一方的に拒む訳でも無い


それは余りにも受け入れがたいことではあるけれど

その足跡を辿る旅を続けているうちに

自分の終着駅を巡る旅となっている様な気にもなって行く

ああ、魂を巡る世界の何と無情で切ないことよ

そうした時の中に佇む私達はふと知るのだ

可能性の本当の意味を

生きるということの真実を








# by _kyo_kyo | 2019-04-07 02:05 | | Trackback